なにをしていますか?
竹内さん:王地山焼は、江戸時代末期、当時の篠山藩主が築いた藩窯です。青磁、染付、白磁、赤絵などが主流です。藩の廃止とともに途絶えていた伝統を復興したのが1988年。その数年後に入りました。
その当初は王地山焼振興会が運営しており、それから3~4回運営元の名称が変わりました。今は一般社団法人ウイズささやまが運営しています。師匠が離れたあと、5年くらい一人でほぼ無休でやっていた時期もありました。
ずっとこの年まで自分がやっているなんて思ってもいませんでした。
児玉さんが入って二人になってからも、基本はそれぞれ作っています。滅多にありませんが、急ぎのオーダーがあった時は一緒に作りましたが、それ以外はオーダーによって完全に分担する形です。
周辺には作家さんが多く、濃いキャラクターの人に囲まれていますが、自分たちはそうでは無いと思っていますけれど。
児玉さん:トランクデザインという神戸の会社とコラボした「OJIYAMA CERAMICS」という作品も担当しています。王地山焼の伝統を活かしながらデザイナーさんと一緒に日常の生活にあう陶器を作っています。
なぜ丹波篠山に移住されたのでしょうか?
竹内さん:出身は大阪で造形の高校に通っていて、そこにいる先生が復興当時の王地山陶器所にいた師匠の先輩後輩でした。その先生に、人を探しているからと声をかけられて来ました。それまで丹波篠山に来たこともなかった。
その高校も内装のデザインをしたくて入学。ふとしたタイミングで陶芸に出会い、陶芸部を自分で作ったのですが、まさかそれが手に職になるとは思いもしませんでした。
篠山は人との距離が近い。大阪にいた時は感じなかった、人との繋がりがあります。普通にこの辺りを歩いている人とお喋りする。下校する子ども達はヘルメット被って、挨拶してくれるのも驚きです。
「じいちゃんが倒れている時もありましたし、3回くらい助けて。大阪にいたら行動できなかったんじゃないかな」
児玉さん:出身は茨城県、当時は京都の専門学校に通っていました。元々青磁に興味を持っていたので、ここに見学に来ました。求人があったわけでもなく、本当に勝手にきました。泣きつくくらいの勢いで。卒業間近でしたし決まらなければ、茨城に帰ろうと思っていました。
他の移住者さんは篠山が好きで来る方も多いけれど、仕事で何も知らずに来ている。けれどここは自然もあってスーパーも近くで暮らしやすい。篠山城跡があって、河原町のまち並みがあって、まちに歴史が残っているのが面白い。
丹波篠山で何をしている時が好きですか?
竹内さん:一番はここでものづくりをしている時。
他は家の周りで薪割りをしている時です。「田舎暮らしといえば、やっぱり薪ストーブ」と憧れていて。大きな木があったので、昨日は1日中薪を割って、終わった後にぼーっとしている時間も含めて好きです。
児玉さん:ここにいる以外では、子供が小さいので、一緒に公園や散歩に行くこと。散歩コースはここから歩いて10分くらいのところに家があるのですが、河原町まで来て、王地山をぐるっと周るのが一番多いです。
お気に入りの場所、お勧めの場所はどこですか?
竹内さん:殿町(八上)の溜め池は水も綺麗で、風景も素晴らしい。釣りが好きで篠山中の溜め池に行きました。残念ながらここにはブラックバスはいないのですが。
児玉さん:畑地域から奥、火打岩は好きですね。夏は川に足をつけて涼む事もできる。水を汲んで、味が分かるわけでもないけれど、珈琲を入れたりもします。
丹波篠山を支える人
竹内保史さん・児玉玲央奈さん
王地山陶器所 陶芸家
承けつぎ、創り、伝える ― 丹波青磁 篠山藩窯 王地山焼
URLhttp://www.withsasayama.jp/ojiyama/